2025年10月30日木曜日

【法律学批判4】事実と規範をどうやってつなぐか:その問題は「法律は正義としていかなるときに力を持つか」に置き換えられる(25.10.30)

事実(存在)と規範(価値判断)をどうやってつなぐか?つまり、両者の架け橋をどこに見出すか?

この問題は、次のように置き換えられる。
法律は正義として、いかなるときに法律の力を持つか?
つまり、正義の力はどこにあるか?

1、この問題は、次の問題とつながっている。それは、
事実(真実)の力はどこにあるか?
それはひとつは、事実が真実であると人々に受け入れられたとき。
もうひとつは、事実が正義の構成要素となったとき(言い換えると、正義の中に埋め込まれたとき)。

そのビジョンは国際人権法の中に見出すことができる。国内避難民は人間であり、人間として扱われなくてはならない。では、果して、311以来、現実に、事実として、人間として扱われてきたか。人間として扱われてこなかったのではないか。そのような力を持った事実はまず「人権侵害」というネガティブな事実なのではないか。

2、他方で、正義の力は、通常の法的論理の中にはない。
通常の法的論理とは、所詮、正当化の論理だから‥‥
But! ひとつだけ例外がある。
それがソクラテスの問答。
彼は、法的論理の中で、法的論理自身の欺瞞・矛盾を暴いてみせた(証明した)。
つまり、そこから法的論理の前提・基礎の不確実性・欺瞞を明らかにした。
これもまた、ポジティブではないが、ネガティブな力(人を途方に暮れさせる)を人々にもたらした

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