【法律学批判1】で次のことを述べた。
1、「事実(小前提)」と「規範(大前提)」をつなぐ架け橋は論理的には不可能である。なぜなら、それは論理とは異なる、判断者の価値判断に基づいて架けられる橋だから。
2、その上で、この架け橋が判断者の主観、恣意を排除し客観的なものにするために何が可能か、何をなすべきか。この「価値判断(規範)の客観化」が問われている。
「価値判断(規範)の客観化」はどうやったら解けるのか。
今、思い当たるのは次の2つ。
1つは、「規範の事実化」より正確にいうと「規範の類型事実化」。
もう1つは、ソクラテスの問答、一種の背理法により、判断者が採用する価値判断が破綻、矛盾に陥ることを示して、その価値判断を破棄させること。
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尤も、この2つは別々のものではなく、セットとして考えることができる。つまり、後者は誤った価値判断を消去する解き方であり、前者は正しい価値判断を建設する解き方だから。具体的には、既に世に受け入れられている価値判断を批判し、その克復の必要性を証明するためにソクラテスの問答が使われ、それが成し遂げられたあとは、新たな価値判断を導入するための方法として、前者が使われる。
順番に述べる。
1、「規範の事実化」とは何か。それは、もともと規範とは事実と無関係に、独自に存在するものではなく、事実の中から誕生し、育まれるもの。つまり、事実から生成するもの。生成法(※1)とはそのことを指す。だとしたら、規範を(規範が誕生するもととなった)事実の組み合わせとして構成することは十分可能だ。その1つが、法律的に「類型化」と呼ばれる解き方。例えば、民法90条の「公序良俗違反」。この抽象的な規範は、そのままでは使い物にならず、法律家はその類型化に努めている。言い換えると、「類型化」とはより具体的な事実によって抽象的な規範を再構成し、もって、事実と規範をつなぐ架け橋を架ける解き方のこと。
(※1)生成法とは、民衆の間で流通(交換)している事実がやがて法的確信にまで高められ、その法的確信がじわじわと拡大する中で、或る時点でそれが法規範(慣習法)として誕生するという見方。
ただし、こう言ったからと言って、 事実と規範をつなぐ架け橋があたかも自動的に生成できるわけではない。そこでは、どうやったら「類型化」が可能になるのか、今度はその解き方が問題となる。つまり、問題の解き方が別のものに置き換わったのだ。数学を解くとは、問題を別の問題に次々と置き換えることであり、その置き換えを通じてついに問題が解けるようになる。その方法は数学に限らない。ここでも応用可能である。そう信じて、この「類型化」の問題をさらに別の問題に置き換えるべく挑戦することにする。
そこで、次の問題は「規範の類型事実化」はいかなる問題に置き換えることができるか。
これについては別文で。
2、ソクラテスの問答
ここでは、ソクラテスの問答がなぜ必要か、なぜ重要かについて述べる。
それは、法律の判断者は、往々にして、とりわけ保守的な価値観に従う者たちは、我々がいくら「新しい事実」に相応しい「新しい法規範」を訴えても、そしてその訴えに正面からは何一つ反論しなくても(実際はできないのだが)、だからといって、我々の訴えを採用する訳ではなく、「価値判断の相対性」の名の下に旧来の法規範にしがみついて、これを固守するという抜き難い性癖があるからだ。だから、このような人たちに対しては、あらかじめ、ソクラテスの問答によって、彼らがすがる旧来の法規範の破綻、矛盾を余すところなく明らかにして、彼らが旧来の法規範に逃げ込もうとする退路を断っておく必要がある。
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