以下は、昨日書いた【つぶやき7】11.12住まいの権利裁判第16回弁論期日、その続き。
この日、裁判所は、
1、我々が強く求めてきた内掘知事の証人申請を不採用、却下した。敗北への後退。
2、と同時に、行政庁の裁量判断の適否について、「判断の枠組み」次第で決着を付くことを示した。勝利への前進。
その答えが意味することは「一歩後退、二歩前進」。
その心は「 問題を正しく提出すること自体が問題を正しく解くに殆どひとしいときがある。それがこの日の裁判だった」。
以下、この日の迷路・迷宮の裁判について、昨日の報告に続いて、もう一度、パズル解きの報告に挑戦。
1、民事裁判の基本原則は自己決定(弁論主義)
民事裁判は、近代社会の基本原則「私的自治の原則」を反映して、誰がいかなる紛争をいかなるやり方で解決するかを当事者の意思(自己決定)に委ねる原則に取っている。その意味で、民事裁判の基本は、イエスの次の言葉と同じ。
「求めよ、さらば与えられん」
つまり、紛争を解決したかったら、解決したいと思った者が裁判の場で自ら進んで解決のビジョンを示して主張・立証を尽せ。そしたら、両当事者がそれを尽したあとに、第三者の裁判所がそれに対し判断を下して、求めたものに対して答えが与えられる。
2、本件の「求めよ、さらば与えられん」
(1)、では、本件で当事者(原告)は何を求めるのか。それは、
第1に主張のレベルで、
内掘県知事が打切りの決定を下すにあたって考慮すべき考慮事項が何であるかを明らかにし、それらの考慮事項について知事は必要十分な考慮を払わなかった。つまり、知事は打切り決定の判断の過程において、考慮すべき考慮事項について4つの誤り(※)をおかした。よって、打ち切り決定は違法を免れない。
(※)それは次の4つの誤りのこと。
①.本来考慮に容れるべき要考慮事項を考慮したか。
②.本来考慮に容れるべきでない考慮禁止事項を考慮に容れなかったか(他事考慮)。
③.要考慮事項について当然尽すべき考慮を尽したか(過小評価)を
④.本来過大に評価すべきでない事項を過重に評価しなかったか(過大評価)
第2に立証レベルで、
(1)、立証すべき命題(対象)
上記の通り、主張のレベルで明らかにした考慮事項に関する具体的な事実(原告がこの間主張した10個の具体的な事実)を証明して、これらの考慮事項について知事は必要十分な考慮を払わなかったことを証明すること。
これが原告が立証すべき命題。
(2)、立証命題の立証の方法
他方で、被告福島県と内掘知事が立証命題である前記の具体的な事実を独占し本裁判に開示しない以上、原告がこの立証命題を証明するためには、もはや決定を下した本人である内掘知事自身に直接問いただして証言を得るしか他に方法がない。
以上が原告が求めたこと。
(2)、これに対し、12日の裁判で裁判所は何を与えたか。
裁判所は、内掘知事の証人申請は不採用という応答を与えた。
(3)、迷路・迷宮の謎解きのスタート
ここから迷路・迷宮の謎解きが始まった。それが「内掘知事の証人申請はなぜ不採用となったのか」という原告からの問いかけだった。
なぜなら、本裁判で、県知事の打ち切り決定が違法か否かを判断するためには、
県知事が打ち切り決定を下すにあたって考慮すべき考慮事項に必要十分な考慮を払わなかったかどうか、で決まる。
そのためには、県知事がこれらの考慮事項に必要十分な考慮を払ったかどうかという真相を解明する必要があり、その真相解明のためには県知事の証人尋問は不可欠であったはず。のみならず、立証責任の点からいっても、この真相解明について立証責任を負う原告にとって、県知事の証人尋問は原告の立証を尽すためになくてはならない立証活動である。
そうだとすると、内掘知事の証人申請を不採用とした裁判所は、原告がこのように立証活動を尽そうとするのをなにゆえに妨げるようとするのか。それとも、裁判所は、この真相解明について立証責任を負うのは被告であって、原告は負わないから、その意味で、原告から県知事の証人尋問を申請する必要もないとでも考えているのか。
どうなんだ?と。
(4)、謎のリアクション
その問いに対し、裁判所は、こちらが想定していなかった次の回答を告げた。
①.仮設住宅提供を打切った県知事決定が違法かどうかは、何が考慮事項であるかについて明らかにし、それらについて必要な考慮がされたかどうかを検討して判断することになる(←ここは原告の主張の通り)
②.ところで、本件における「考慮事項」は何かについては、原告被告間で真っ向から主張が対立する。原告の主張する10個の考慮事項と被告の主張する3個の考慮事項は全く噛み合わない(←ここも原告も認識していた通り)。
③.しかし、原告の主張する10個の考慮事項について、「知事は決定の判断過程においてこれらの10個の考慮事項を考慮していなかった」という事実の点に関しては被告も争いがない(←言われてみれば、確かにその通り)。
④.つまり、原告が知事の証人尋問により証明しようと考える「知事は決定の判断過程においてこれらの10個の考慮事項を考慮していなかった」という事実は当事者間で争いのない事実であるから証拠調べは必要ない(←よもやそこまで気がつかなかった‥‥)。
⑤.従って、知事の証人尋問は採用しない(採用する必要がない)(←④からは論理必然的な帰結だ)。
(5)、裁判の決着の付け方
つまり、「考慮事項」論のうちの事実問題(原告が主張する10個の考慮事実に関する内掘知事の対応)については被告も争わないことを表明した結果、残された問題は「考慮事項」とは何か、という判断枠組みの法律問題(要件事実の確定)に絞られた。
↑
このような応答・展開は全く想定外だった。
裁判所の態度はてっきり、内掘知事を採用しないのは「知事、多忙につき」を理由にする「裁量判断の逸脱濫用への消極的姿勢」に由来するものだとばかり思っていた。先行する追い出し裁判でも露骨にそうだったから。しかし、この日の裁判所はこれとは全くちがった。内掘知事を採用しないのは「原告が立証しようとする考慮事項に関する事実(10個の考量事項を知事は適切に考慮していなかった)に原被告間に争いがなく証拠調べは不要だから」つまり「知事、不要につき」を理由とするものだった。
してみると、本裁判で残された問題つまり「真の争点」とは「何が考慮事項か」という、裁量判断の適否を決める「判断枠組み」とは何かだった。
これまで、福島関連訴訟で、審理の中で裁判の「真の争点」が明らかにされ、この「真の争点」に沿って主張・立証を尽したことは一度もなかった。「真の争点」を明らかにして勝負に出れるのはこれが初めてだった。しかも、その勝負が考慮事項という「判断枠組み」であることも初めてだった。
2014年の提訴から7年後に判決が言い渡された子ども脱被ばく裁判でも、判決を書いた福島地裁の裁判官は、判決まで、行政裁量判断の逸脱濫用の適否が争点であることを審理の中で一度も明らかにせず、ましてやこの住まいの権利裁判のように、行政裁量論の中で、真の争点が「考慮事項とは何か」であることなぞ審理の中で全く、一言も触れられず、判決の中で行政裁量論が突如、登場したのである。
これまでの不意打ち裁判、闇討ち判決に比べれば、住まいの権利裁判は真の争点のあぶり出しをやったという意味で、格段にまともな裁判である。
(6)、終わりに
本裁判の決着が何より決まるのか、という「真の争点」が明らかにされた先週12日の裁判はこれまでに経験したことのない裁判だった。「真の争点」を明らかにして、これに沿って「適正・迅速な裁判」を実現するというのはこれまでもさんざん要件事実を強調してきた司法研修所のお題目だったが、先週12日の裁判はそれを実地で見せた、お手本になるような濃密で凝縮した裁判だったのではないかと思う。
それは次の訓えを授けてくれたーー問題を正しく提出することが、問題を正しく解く以上に重要で決定的な場合がある。そのような場合、問題を正しく提出すること(すなわち「真の争点」を提示すること)で往々にして殆ど勝負がつく。
我々はついつい、自分の求める結論の正しさばかりに目を奪われて、その正しさの論証・証明に無我夢中になりがちだが、その論法は必ずしも人々の心に届かない。問題を解く前に、問題を正しく提出することに心を砕け。それがソクラテスがやった問答の全て。ゆめゆめ、問題を正しく提出することを怠ることなかれ。
この日経験し、掴んだ《「真の争点(真の判断枠組み)」に沿った裁判を徹底する、その決定的な重要性》、これを生涯の宝物として、これから取り組む全ての裁判の羅針盤として活かしていきたい。
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