2025年11月3日月曜日

【つぶやき6】真か偽の判断は事実認識の次元だけではない、もう1つ、論理の世界でも登場する(25.11.3)

 これまで、世界や物事を判断するとき、①真(認識的)、②善(道徳的)、③美(美的、快か不快か)という異なる独自の3つの次元の判断を持つと、そう考えてきた(>リスク評価論)。そしてここで、①真(認識的)とは事実認識のことを意味していた。

しかし、最近ようやく、①の真に関しては、これは不正確ではないかと気づくようになった。 なぜなら、論理の世界でも真か偽かが問われることがあるが、論理の世界は上記の①事実認識の世界とは異なる、別個の世界の話だから。

つまり、真理か否かは事実の世界と論理の世界で問題となる。真理か否かについて、前者は科学による検証を経るが、後者は分析を通じて基本の規則に分解することによって明らかになる。以上のことはライプニッツが「モナドロジー」§23で明言している通りである。

 

 

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