2026年6月12日金曜日

【振り返り2】住まいの権利裁判の3人目の裁判長との内掘福島県知事の喚問をめぐるひそかな激闘(26.6.12)

 住まいの権利裁判の3人目の裁判長との間で闘わされた最大のテーマが誰を証人として尋問するか、具体的には内掘福島県知事を証人として尋問するかどうか、だった。
これまで、裁判所が往々にして行政に必要以上に忖度する傾向があることは司法の業界ではよく知られた悪弊(悪しき習慣以外の何物でもない!)で、この悪弊を前提に、内掘知事喚問を実現するためには、なぜ内掘喚問を実現しなくてはいけないか、喚問の必要性を論理的に証明すること、それ以外にはなかった。そして、この裁判長は、もし我々がこの証明に成功した暁には、内掘喚問を拒否できない資質を備えていると思われた(そこが弁慶の泣き所)から、これに挑戦した。

その証明方法は我々の弱味を強味に逆転させる技を使うことだった。
具体的には、今日の裁判は判決の基礎となる法律問題と事実問題を当事者の手に委ねることにした(弁論主義という)。その結果、当事者が裁判で求める請求を基礎付ける法律問題と事実問題は当事者が用意する必要がある。その結果、もし当事者が裁判に勝つために必要なだけの法律問題と事実問題を用意できなかったら、その当事者は敗訴となる。言い換えれば、当事者は裁判に勝つためには、勝つために必要なだけの法律問題と事実問題を用意する責任がある。事実問題についてそれはその事実の存在を証明(用意)するという意味で立証責任と言われる。当事者に課せられたこの責任は、この責任を果さない限り負けるのだから、言ってみればこちらの弱味である。だからこそ、当事者はこの責任を果すために必死になる。ところが、この責任を果すためには、当事者だけの努力では実現不可能なときがある。それはその事実を相手方や第三者が独占して握っている場合である。その時、当事者がその責任を果すためには、その事実を握っている相手方や第三者から情報開示させるしかない。もちろん相手方も第三者も情報開示を嫌がるだろう。そこは激烈な利害の衝突・対立の現場であり、その利害衝突を調整する必要がある。その時、一般には、相手方や第三者が当事者に対してその情報について何らかの説明責任(開示義務)を負う場合には、相手方や第三者はその情報開示を拒否できない。

本件では、このロジックを使った。つまり、もともと、内掘知事は、どのような吟味検討を経た上で仮設住宅の提供打ち切りの決定を下したのか、その判断過程で考慮すべき要素について、当事者である、仮設住宅から退去を余儀なくされる自主避難者に対し、説明する責任がある。だから、そのような判断過程における考慮すべき要素に関する事実関係について、内掘知事は証人として申請されたのであれば、裁判の法廷の証人尋問の場でこれを説明する責任がある。他方、内堀喚問が実現しない限り、原告としては、内堀決定の違法性を基礎づける判断過程における考慮要素を構成する事実について、己に課せられた証明責任を果す必要があるのに、内掘喚問が実現しない限りその責任を果たすことができない。
よって、裁判所は原告が原告に課せられた証明責任を尽くすように、内掘喚問を決定すべきである。
以上のロジックで、裁判所に内掘喚問の決定を迫ったとき、裁判所もこれは容易に無視できることではないと受け止めたが、それ以上に、この事態を最も深刻に受け止めたのは内掘知事本人だったと思われる。なぜなら、被告福島県は、原告が主張した「内堀決定の判断過程において考慮すべき要素に関する事実関係は争わない」つまり、原告が主張した考慮要素を内掘は考慮しなかったし(なぜならそれは考慮事項ではないからである)、よってその考慮要素を構成する事実関係についても「考慮しなかった」、この意味で、この事実問題について双方に争いはないと答弁してきたからである。
その結果、この争いのない事実について原告には証明する必要もなく、従って、その証明のために内掘喚問を実行する必要もないと、そう裁判所に訴えたからである。
正直なところ、我々は被告福島県の応答の意味が分らなかった。そこまで踏み込んだ争点整理をするとは思ってもみなかったからである。
そのことを教えてくれたのは意外にも裁判所だった。
11月12日の弁論期日で、裁判所は内掘の証人申請を却下した。これに対し、我々は、抵抗の方法として、新たなに内掘喚問の代替措置として県の幹部の尋問や書面による尋問を提案しようと準備し、そのために、まず、裁判所がなぜ内掘尋問を不採用としたのか、その訳をーー不採用にするだけの論理的、状況的な理由がないことを示してーー裁判所に迫った。すると、そこで、全く思いがけない答えが返ってきた。その結論を先に言うと、
不採用の理由について、裁判所は決して「県知事で多忙な内掘を呼ぶのはためらう」からではなくて、そもそも「原告が主張する《8個の考慮事情について内堀は考慮しなかった》という事実については福島県も争いがなく、その意味でこの事実について証拠調べをする必要がない、だから内掘を尋問する必要もないのだ」という、思っても見ていなかった理由を述べた。
その結果、内掘決定が違法かどうかという論点については、何が考慮事項か、具体的には原告の主張する8個のそれか、それとも被告の主張する3個のそれかという法律問題で決着がつくことになったことが判明した。
裁判所にこのようなメッセージを送った被告は、どうやら内掘喚問の回避を最優先課題とし、この際そのためにはどんな犠牲もいとわない決意だった。それを非政治的、非暴力的に実現するためには、何が考慮事項かという法律問題で原告主張と被告主張とを真っ向から激突させて、どちらの主張が考慮事項として認められるかに勝負を賭けるしかないと腹を括った。
その結果、本裁判の争点はにわかに単純明快となった。
そして、被告が立てた上記の争点整理だと、今年1月9日の追出し裁判最高裁三浦意見によれば内堀決定の違法性は完璧に肯定される。
そんなんじゃなくて、三浦意見にも抵抗できるほど、もっと堅固な裁量論を構成する気だったら、何が考慮事項かという法律問題で、原告主張ともっと紙一重のところで、新たな裁量基準の設定などを持ち出して、混戦、泥仕合にもつれ込ませる必要があった。しかしだ、もしひとたびその作戦を採用するとなると、今度は、原告の主張する考慮事項についても内掘がそれなりに考慮検討したこととなってしまい、その結果、やっぱり内掘喚問は必要だということになりかねない。内掘喚問を完全否定できなくなる。つまり勝利を最優先させようと思ったら、そのとき内掘喚問を耐え忍ぶ必要があった。だが、公開法廷の面前で、おめおめとそんな恥さらしのような真似はしたくない‥‥その駆け引きの中で被告と内掘は悶々とした検討の末、苦渋の決断を下したのではないかと思った。

以上の経過について、昨年11月の内掘喚問が消えた期日の報告の中で論じたので、その内容を以下に再掲する。
まずその1【つぶやき7】。

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11月12日の裁判は今まで経験したことのないような、少々長い、パズル解きのような裁判報告。

裁判報告の3つの動画>末尾へ

1、住まいの権利裁判第16回弁論期日までの経過
先週11月12日の住まいの権利裁判。この日、内掘福島県知事の証人申請の採否が明らかにされる。つまり、この日でこの裁判の行方がほぼ決まる(なぜなら、内掘知事が採用されたからといって勝訴が保障されるわけではないが、不採用となれば、過去の追出し裁判の経験からも敗訴はほぼ確実となるから)。

そのため、前回期日の9月1日からこの間、内掘証人尋問の必要性・必然性を実証的、論理的に明らかにするための書面を以下の通り準備、提出した。

原告準備書面(23) なぜ内掘知事の証人尋問が必要なのか(25.10.15)(

上申書  10月20日の進行協議で発言の補足(25.10.22)

原告準備書面(24)本文+別表1+別表2 準備書面(23)の続き(25.10.27)

被告第13準備書面 原告主張の考慮事項についての応答(25.10.31)

原告準備書面(25) 立証責任の分配が立証活動に与える影響について(25.11.3)

原告準備書面(26) 被告第13準備書面について(25.11.10)

上申書 争点整理案の追記(25.11.10) 


)準備書面(23)の概要は以下。
1、前提問題
(1)、略
(2)、いかなる場合に行政庁の裁量判断は違法とされるか。
 都知事が行った都市計画の変更決定に対し、最高裁は次の通り判示した。
その基礎とされた重要な事実に誤認があること等により重要な事実の基礎を欠くこととなる場合,又は,事実に対する評価が明らかに合理性を欠くこと,判断の過程において考慮すべき事情を考慮しないこと等によりその内容が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くものと認められる場合に限り,裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとして違法となるとすべきものと解するのが相当である。》(最判平成18年11月2日小田急線高架化事業認可取消訴訟。下線は原告代理人)。
 その結果、行政庁は重要な事実の基礎を欠くことのないように、なおかつ当該事実に対する評価が明らかに合理性を欠くことのないように、案件の裁量判断にあたっては、いかに判断すべきかを検討するために必要となる当該案件の構成要素たるあれこれの事実を十分に調査・収集しておくことが判断の大前提となる。
 そこで、裁判所が行政庁の裁量判断を審査するにあたっても、行政庁が調査・収集すべき上記事実を適切に把握しておくことが不可欠となる。

(3)、行政庁の裁量判断についてどのような司法審査が行なわれるべきか。
 行政庁の判断過程において、重視すべきでない考慮要素を重視し(過大評価)、当然考慮すべき事項を十分考慮しない(過小評価)などの合理性を欠くことを問題にして司法審査した最高裁平成18年2月7日学校施設使用許可国賠事件判決以降、「判断過程審査」方式が積み重ねられ 、近時はこの「判断過程審査」方式が通例となり、定着している(原告準備書面(19)16~17頁。藤田宙靖元最高裁裁判官「自由裁量論の諸相―裁量処分の司法審査をめぐって―」73~74頁〔甲B37号証〕)。

(4)、「判断過程審査」方式においてはどのように審査が行なわれるのか。
裁量判断の方法ないしその過程に誤りがあるかどうかを審査する。具体的には以下の諸点について吟味検討を行なう。
①.本来考慮に容れるべき要考慮事項を考慮したか。
②.本来考慮に容れるべきでない考慮禁止事項を考慮に容れなかったか(他事考慮)。
③.要考慮事項について当然尽すべき考慮を尽したか(過小評価)を
④.本来過大に評価すべきでない事項を過重に評価しなかったか(過大評価)
 以上を前提にして、以下の問題について検討する。

2、問題の所在
本裁判において、内掘知事の証人喚問がなぜ必要か。

3、結論
そもそも行政庁の裁量判断の違法性の有無を司法審査する上で、要考慮事項・考慮禁止事項の内容及びその重み付けを検討・判断するためには、行政庁が裁量判断にあたって、事前に十分に調査・収集しておくべき、判断の基礎となる事実・情報(以下、当該情報という)を把握することが不可欠である。本件においても、県知事決定の基礎となるべき当該情報を収集することが不可欠である。そこで、この情報収集のためには、県知事決定を下した本人から直接及び反対尋問にさらされる証人手続の中で入手するのがベストである。

4、理由

そもそも福島原発事故クラスの原発事故(放射能災害)は災害救助法で予定しているような従来型の災害・事故の枠組みに収まらない、想定外の大災害(カタストロフィー)であり、こうした大災害(カタストロフィー)に見舞われた被災者(そこには当然、区域外避難者も含まれる)に対して、国・自治体には、被災者が原発事故から回復(命、健康の回復、生活再建)することに対する「十分な配慮」 が求められることは言うまでもない。
従って、県知事による区域外避難者への住宅の無償提供の打切りの決定にあたっても、その決定の判断過程において、要考慮事項の1つとして上記の「十分な配慮」をする必要がある。そこで、この「十分な配慮」を適切に実行するためには、無償提供の打切りの決定当時の区域外避難者の置かれた現況などについての必要十分な事実・情報に基づく必要がある。
そこで、問題はその際に、どのような事実・情報を収集することが求められるかである。そのためには、いま一度、行政法を論理的な概念法学(=死んだ行政法)ではなく、「生きた行政法」の中で再構成するという以下の基本的な観点に立ちかえる必要がある。
「これまで、行政法学者たちは、一定の行政行為を概念を用いて分類して、法規裁量に該当するか、自由裁量に該当するかを導き、それによって、当該行政行為に対する司法審査の可否(違法の判断の可否)を判断してきた。」
「しかし、そこには当該行政行為をめぐって国民に及ぼす影響、或いは行政庁と国民の間の現実の関係というものが完全に欠落している」
「しかし、たとえ概念的には同一の行政行為に属するものであっても、上記の「国民に及ぼす影響」や「行政庁と国民の間の現実の関係」という当該行政行為が果たす機能が違えば、結局、その法的判断も異なりうるのである。」
「従って、重要なことは、機能的に捉えられた行政行為について、その機能作用に着目する中で、当該行政行為に対する司法審査の可否を判断すべきであって、概念的な操作でもって判断するのはおかしい」(以上、渡辺洋三「法治主義と行政権」〔1959年〕)
そこで、いやしくも区域外避難者の原発事故からの回復(命、健康の回復、生活再建)に対する「十分な配慮」を具体化しようとするならば、「仮設住宅の提供打切りの県知事決定が区域外避難者に及ぼす影響」や「福島県と区域外避難者の間の現実の関係」という生きた現実に即してこれを行なうほかなく、もし、このような「生きた現実」に即した検討をしない限り、行政行為である県知事決定は法律的に「空虚」なものにならざるを得ず 、そこで、県知事は具体的に以下の8個(その後2個追加で計10個)の情報を収集することが不可欠であった(以下、本件当該情報という)。
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2、住まいの権利裁判
16回弁論期日までの準備の中で導かれたこと
 その結果、実証的、論理的に「原告が考える考慮事項について、《知事が考慮を尽していない》ことの立証責任を負う原告がその立証責任を果たすためには、仮設住宅提供を打切った県知事決定を下した内掘知事本人から証言を引き出す以外に立証方法がないこと(なぜなら、被告福島県は原告が考える考慮事項について一切情報を提供しないから)」が示されたのであれば、もし裁判所が内掘知事の証人申請を不採用とするのは「考慮事項について立証責任を負う原告の立証活動を尽させるという裁判所の訴訟指揮に自ら反することになる」。裁判所に、そのような原告の立証活動の妨害をおこなう理由は何なのか?ーーこういう問いを投げる積りで準備した。

3、住まいの権利裁判16回弁論期日の当日
果して、裁判所は、内掘知事の証人申請を不採用とした。 そこで、上記の問いを投げた。
それは、先行する福島地裁に提訴された追出し裁判でも、3年前、福島地裁の裁判官も同様に、内掘知事の証人申請を不採用としたが、その真意は「もともと仮設住宅提供を打切った県知事決定が違法だいう避難者たちの主張は取るに足りない無理な主張。だから、そんな無理な主張の立証のために多忙な県知事をわざわざ尋問するまでもない」にあったが、今回の東京地裁の不採用の真意もそこにあるのかどうか、それを確認することがこの問いの目的だった。

もし、東京地裁の裁判官が「県知事は公務で多忙だから」といった趣旨の応答したときには、その応答振りから、その真意は3年前の福島地裁の裁判官と同様であることが透けて見えて、判決の見通しも敗訴が判明した。

ところが、東京地裁の裁判官は我々が予想もしていなかった奇妙な応答をするに至った。それは次のような内容だった。
①.仮設住宅提供を打切った県知事決定が違法かどうかは、何が考慮事項であるかについて明らかにし、それらについて考慮がされたかどうかを検討して判断することになるところ、
②.原告が主張する10個の「考慮事項」と被告が主張する3個の「考慮事項」はその内容が真っ向から対立して、噛み合わない。
③.ところで、原告は、原告の主張する10個の考慮事項について、県知事は考慮をしていないということを主張する積りである。
④.これに対し、被告も、原告が主張する10個の考慮事項について、本法廷でも確認した通り、これらについて県知事は県知事決定の判断過程において考慮していないことを認めている。
⑤.すなわち、原告の主張する「10個の考慮事項について、県知事は県知事決定の判断過程において考慮していない」事実は被告においても争いがない。
⑥.従って、上記⑤の事実に双方で争いがない以上、これについては証拠調べする必要がない。
⑦.従って、上記⑤の事実の存否について内掘知事を証人として証拠調べする必要もない。
⑧.これが、内掘知事の証人申請の不採用の理由である。

4、住まいの権利裁判16回弁論期日の意味すること
この裁判所の言い分は論理的には正しい。
すると、仮設住宅提供を打切った県知事決定が違法かどうかの勝負は、何が考慮事項であるか、具体的には原告の主張する10個の考慮事項か、それとも被告の主張する3個の考慮事項か、という考慮事項の範囲をめぐる法律判断(法解釈)で決まることとなった。
これは、3年前、内掘知事の証人申請を却下し、そのあと、何の理由も示さず、県知事決定に裁量権の逸脱濫用はないと三行半の判決を下した追出し裁判の福島地裁一審判決とは全くちがう展開となった。

この想定外の展開に、もし内掘知事の証人申請の不採用ならば、3年前の追出し裁判の暗黒判決の再来を覚悟するほかなかったのに、裁判所との対話を通じて、そこから、予想もしていなかった新たな形で勝訴の可能性があることが見えてきて、そのために勝利の方程式の準備に励む余地を与えてくれた。
この意味で、この日の裁判は「一寸先は闇(そして光)」であり、「一歩後退、二歩前進」の瞬間だった。 

以下の動画(UPLANさん提供)は、裁判後の報告集会で、この日の裁判所との対話のやりとりの意味について解説した
弁護団の井戸さんの解説


同じく柳原の解説

裁判前の支援者集会で、柳原の今日の裁判の見通しの話


次がその続き【つぶやき8】。

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この日、裁判所は、
1、我々が強く求めてきた内掘知事の証人申請を不採用、却下した。敗北への後退。
2、と同時に、行政庁の裁量判断の適否について、「判断の枠組み」次第で決着を付くことを示した。勝利への前進。

その答えが意味することは「一歩後退、二歩前進」。
その心は「 問題を正しく提出すること自体が問題を正しく解くに殆どひとしいときがある。それがこの日の裁判だった」。

以下、この日の迷路・迷宮の裁判について、昨日の報告に続いて、もう一度、パズル解きの報告に挑戦。

1、民事裁判の基本原則は自己決定(弁論主義) 
民事裁判は、近代社会の基本原則「私的自治の原則」を反映して、誰がいかなる紛争をいかなるやり方で解決するかを当事者の意思(自己決定)に委ねる原則に取っている。その意味で、民事裁判の基本は、イエスの次の言葉と同じ。
求めよ、さらば与えられん

つまり、紛争を解決したかったら、解決したいと思った者が裁判の場で自ら進んで解決のビジョンを示して主張・立証を尽せ。そしたら、両当事者がそれを尽したあとに、第三者の裁判所がそれに対し判断を下して、求めたものに対して答えが与えられる。

2、本件の「求めよ、さらば与えられん
(1)、では、本件で当事者(原告)は何を求めるのか。それは、
第1に主張のレベルで、
内掘県知事が打切りの決定を下すにあたって考慮すべき考慮事項が何であるかを明らかにし、それらの考慮事項について知事は必要十分な考慮を払わなかった。つまり、知事は打切り決定の判断の過程において、考慮すべき考慮事項について4つの誤り()をおかした。よって、打ち切り決定は違法を免れない。

()それは次の4つの誤りのこと。
①.本来考慮に容れるべき要考慮事項を考慮したか。
②.本来考慮に容れるべきでない考慮禁止事項を考慮に容れなかったか(他事考慮)。
③.要考慮事項について当然尽すべき考慮を尽したか(過小評価)を
④.本来過大に評価すべきでない事項を過重に評価しなかったか(過大評価)

第2に立証レベルで、
(1)、立証すべき命題(対象)
上記の通り、主張のレベルで明らかにした考慮事項に関する具体的な事実(原告がこの間主張した10個の具体的な事実)を証明して、これらの考慮事項について知事は必要十分な考慮を払わなかったことを証明すること。
これが原告が立証すべき命題。
(2)、立証命題の立証の方法
他方で、被告福島県と内掘知事が立証命題である前記の具体的な事実を独占し本裁判に開示しない以上、原告がこの立証命題を証明するためには、もはや決定を下した本人である内掘知事自身に直接問いただして証言を得るしか他に方法がない。

以上が原告が求めたこと。

(2)、これに対し、12日の裁判で裁判所は何を与えたか。
裁判所は、内掘知事の証人申請は不採用という応答を与えた。

(3)、迷路・迷宮の謎解きのスタート
ここから迷路・迷宮の謎解きが始まった。それが「内掘知事の証人申請はなぜ不採用となったのか」という原告からの問いかけだった。

なぜなら、本裁判で、県知事の打ち切り決定が違法か否かを判断するためには、
県知事が打ち切り決定を下すにあたって考慮すべき考慮事項に必要十分な考慮を払わなかったかどうか、で決まる。
そのためには、県知事がこれらの考慮事項に必要十分な考慮を払ったかどうかという真相を解明する必要があり、その真相解明のためには県知事の証人尋問は不可欠であったはず。のみならず、立証責任の点からいっても、この真相解明について立証責任を負う原告にとって、県知事の証人尋問は原告の立証を尽すためになくてはならない立証活動である。

そうだとすると、内掘知事の証人申請を不採用とした裁判所は、原告がこのように立証活動を尽そうとするのをなにゆえに妨げるようとするのか。それとも、裁判所は、この真相解明について立証責任を負うのは被告であって、原告は負わないから、その意味で、原告から県知事の証人尋問を申請する必要もないとでも考えているのか。
どうなんだ?と。

(4)、謎のリアクション
その問いに対し、裁判所は、こちらが想定していなかった次の回答を告げた。

①.仮設住宅提供を打切った県知事決定が違法かどうかは、何が考慮事項であるかについて明らかにし、それらについて必要な考慮がされたかどうかを検討して判断することになる(←ここは原告の主張の通り
②.ところで、本件における「考慮事項」は何かについては、原告被告間で真っ向から主張が対立する。原告の主張する10個の考慮事項と被告の主張する3個の考慮事項は全く噛み合わない(←ここも原告も認識していた通り)。
③.しかし、原告の主張する10個の考慮事項について、「知事は決定の判断過程においてこれらの10個の考慮事項を考慮していなかった」という事実の点に関しては被告も争いがない(←言われてみれば、確かにその通り)。
④.つまり、原告が知事の証人尋問により証明しようと考える「知事は決定の判断過程においてこれらの10個の考慮事項を考慮していなかった」という事実は当事者間で争いのない事実であるから証拠調べは必要ない(←よもやそこまで気がつかなかった‥‥)。
⑤.従って、知事の証人尋問は採用しない(採用する必要がない)(←④からは論理必然的な帰結だ)。

(5)、裁判の決着の付け方
つまり、「考慮事項」論のうちの事実問題(原告が主張する10個の考慮事実に関する内掘知事の対応)については被告も争わないことを表明した結果、残された問題は「考慮事項」とは何か、という判断枠組みの法律問題(要件事実の確定)に絞られた。
         ↑
このような応答・展開は全く想定外だった。
裁判所の態度はてっきり、内掘知事を採用しないのは「知事、多忙につき」を理由にする「裁量判断の逸脱濫用への消極的姿勢」に由来するものだとばかり思っていた。先行する追い出し裁判でも露骨にそうだったから。しかし、この日の裁判所はこれとは全くちがった。内掘知事を採用しないのは「原告が立証しようとする考慮事項に関する事実(10個の考量事項を知事は適切に考慮していなかった)に原被告間に争いがなく証拠調べは不要だから」つまり「知事、不要につき」を理由とするものだった。

してみると、本裁判で残された問題つまり「真の争点」とは「何が考慮事項か」という、裁量判断の適否を決める「判断枠組み」とは何かだった。
これまで、福島関連訴訟で、審理の中で裁判の「真の争点」が明らかにされ、この「真の争点」に沿って主張・立証を尽したことは一度もなかった。「真の争点」を明らかにして勝負に出れるのはこれが初めてだった。しかも、その勝負が考慮事項という「判断枠組み」であることも初めてだった。
2014年の提訴から7年後に判決が言い渡された子ども脱被ばく裁判でも、判決を書いた福島地裁の裁判官は、判決まで、行政裁量判断の逸脱濫用の適否が争点であることを審理の中で一度も明らかにせず、ましてやこの住まいの権利裁判のように、行政裁量論の中で、真の争点が「考慮事項とは何か」であることなぞ審理の中で全く、一言も触れられず、判決の中で行政裁量論が突如、登場したのである。
これまでの不意打ち裁判、闇討ち判決に比べれば、住まいの権利裁判は真の争点のあぶり出しをやったという意味で、格段にまともな裁判である。

(6)、終わりに
本裁判の決着が何より決まるのか、という「真の争点」が明らかにされた先週12日の裁判はこれまでに経験したことのない裁判だった。「真の争点」を明らかにして、これに沿って「適正・迅速な裁判」を実現するというのはこれまでもさんざん要件事実を強調してきた司法研修所のお題目だったが、先週12日の裁判はそれを実地で見せた、お手本になるような濃密で凝縮した裁判だったのではないかと思う。
それは次の訓えを授けてくれたーー問題を正しく提出することが、問題を正しく解く以上に重要で決定的な場合がある。そのような場合、問題を正しく提出すること(すなわち「真の争点」を提示すること)で往々にして殆ど勝負がつく。
我々はついつい、自分の求める結論の正しさばかりに目を奪われて、その正しさの論証・証明に無我夢中になりがちだが、その論法は必ずしも人々の心に届かない。問題を解く前に、問題を正しく提出することに心を砕け。それがソクラテスがやった問答の全て。ゆめゆめ、問題を正しく提出することを怠ることなかれ。

この日経験し、掴んだ《「真の争点(真の判断枠組み)」に沿った裁判を徹底する、その決定的な重要性》、これを生涯の宝物として、これから取り組む全ての裁判の羅針盤として活かしていきたい。

【振り返り】住まいの権利裁判の3人目の裁判長に向けて争点整理のプレゼンの準備作業(26.6.12)

2022年3月11日に東京地裁に提訴し、2日前の2026年6月10日に結審した住まいの権利裁判。この間、裁判長が2人交代した。3人目の裁判長の着任は昨年5月。それはこの3年間の審理の積み重ねをいわばチャラにするにひとしいことで、原告らの落胆は想像するに余りある。しかし、愚痴ってもらちがあかないので、気を取り直して、新しい裁判長向けに、これまで重ねてきた双方の主張の総整理=争点整理の解説(プレゼン)をやることを提案し、9月1日に法廷で実施することが了承された。そのための準備作業が昨年7月から8月に重ねられた。
以下は、そのプレゼンに向けて、原告主張の再整理を兼ねて準備した、一連の作業の記録。
裁判は法解釈の結果として判決が下されることになるが、その際、正しい法解釈を導くためには、正しい事実認識、正しい理念の選択、そして両者を踏まえた正しい法律構成の3条件(そう言ったのは若き我妻栄の「私法の方法論」)、このどれもが欠けることなく備わって初めて正しい法解釈にたどり着く。以下の一連の作業の記録は
正しい法解釈へのロードマップの探求という作業でもあった。

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プレゼン用のパワポ文書の原稿>PDF(2025.7.31)

プレゼン資料の内容について、7月末までにその原稿を提出することになっていて、それを作成。
ここではプレゼンに漏れがないように細大漏らさず記載した。今後、ここから削って(増やすことはしない)パワポ文書を作成することを裁判所に確約。


上記パワポ文書の原稿の参考資料PDF(2025.7.31)
上記パワポ文書の原稿作成の際、同原稿の注記、補足として参考資料を作成したので、参考までに提出したもの。

プレゼン用のパワポ文書PDF(2025.8.25)

9月1日に法廷で実施するプレゼン用の原稿。


プレゼン用のパワポ文書の概要PDF(2025.8.27)

プレゼン用の手控えのための概要として作成したもの

プレゼン用のパワポ文書の注釈PDF(2025.9.1)

プレゼンの際にパワポ資料を説明するために読み上げる文章を作成したもの

2026年6月10日水曜日

【報告】住まいの権利裁判の最終弁論期日、内堀決定の違法性のクライマックスを15分で語るーーアピールではなく、対話としてーー要旨陳述の機会(26.6.11)

ルター

藤山雅行

三浦 守


昨日で、東京地裁に2022年3月に提訴した「住まいの権利裁判」が審理を終結した。その最終日に、この裁判の中心問題「内掘福島県知事が自主避難者への仮設住宅提供を打ち切る決定を下した内掘決定が違法ではないか」をめぐって、原告らの主張の要旨を陳述する機会(時間は15分)を与えられ、実施した(形式的には、2週間前に提出した原告最終準備書面(>内掘決定の部分のPDF)の要旨を陳述するというもの)。

今年1月9日に、避難者追出し裁判で、最高裁の三浦裁判官がこの内掘決定が違法であると判断した(>その報告)。他方、多数意見は内堀決定の違法性について判断に踏み込まなかった(判断を回避した)。この311後の原発事故の救済の根幹の1つをなす「内掘決定」に最高裁が違法という判断を示したことの影響はとてつもなく大きい。その影響の大きさを十分分った上で、三浦裁判官は正面から「内掘決定」は違法であると判断に踏み込んだ。そこには、500年前に、マルティン・ルターが「我ここに立つ。これ以外に仕方がない」という苦悩の中で宗教改革に一歩を踏み出したように、三浦裁判官も「我ここに立つ。これ以外に仕方がない」という決断の末に、「内掘決定」の違法判断に踏み出したと思われた。

そして、判決前のこの苦悩(暗闇)の中で下される裁判官の決断は誰であっても変わらない。この住まいの権利裁判の裁判官たちも同様だ。そのことを意識して、判決の準備に入る彼らができるだけすみやかに「我ここに立つ。これ以外に仕方がない」という決断が下せるように、そのための背中を押す積りで、この日の要旨陳述の原稿を準備した。
これも、裁判官に宛てたラブレターである(>全文のPDF)。

その中で、裁判所に「裁量権の逸脱濫用の判断」の模範(リーディングケース)として推奨したのが次の2つの判決。
①.一般論として、平成14827日「林試の森」事件一審判決(>原文)。裁判長は藤山雅行。
②.具体論として、令和8年1月9日「避難者追出し」裁判最高裁判決三浦意見
(>原文10頁以下)





【振り返り2】住まいの権利裁判の3人目の裁判長との内掘福島県知事の喚問をめぐるひそかな激闘(26.6.12)

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