2025年11月19日水曜日

【つぶやき9】追出し裁判、最高裁に上告受理申立ての3通目の補充書を提出:規範が事前の規範と事後の規範の2方面に作用するのに着目し、住まいの権利裁判の先日の成果を追出し裁判に活用(25.11.19)

                               追出し裁判、最高裁に補充書(2)を提出(11月17日)

1、概要
 住まいの権利裁判の前々回の9月1日から前回の11月12日までの2ヶ月余りの間、仮設住宅提供の打ち切りを決めた内掘県知事決定の裁量権の逸脱濫用の適否をめぐって、(1)、考慮事項とは何か、(2)、考慮事項を関する事実の立証責任はどちらにあるのか、(3)、考慮事項を関する事実の立証のために前記決定を下した本人たる県知事の証人尋問の採否などについて攻防戦が続いた(以下、原告から提出した書面の一覧)。
その中で明らかになった「考慮事項とは何か」という裁量権の逸脱濫用の適否のために「判断枠組み」についての成果を、先行して福島地裁で始まった追出し裁判の上告受理申立て理由書の補充書として作成し、最高裁に提出しようと、今週17日の朝、提出した(上記の写真と下記の補充書(2))。以下、その簡単な解説。

原告準備書面(23) なぜ内掘知事の証人尋問が必要なのか(25.10.15)

上申書  10月20日の進行協議で発言の補足(25.10.22)

原告準備書面(24)本文+別表1+別表2 準備書面(23)の続き(25.10.27)

原告準備書面(25) 立証責任の分配が立証活動に与える影響について(25.11.3)

原告準備書面(26) 被告第13準備書面について(25.11.10)

上申書 争点整理案の追記(25.11.10) 


2、行為規範と評価規範
 何事もそうだが、思考にも事前の事前と事後の思考があり、或る出来事が起きて済んでしまってからあとになって振り返る事後の思考(ヘーゲルの思考がその典型)と、これに対し、これから起きる出来事に対して、それをどのように捉えるかという事前の思考とがあり、両者を区別する必要がある。 

同様に、法規範にも事前の法規範と事後の法規範がある。或る出来事が起きてしまってからあとになって振り返って当てはめるのが事後の法規範であり、立証責任の定めが証拠調べで立証命題が真偽不明になった場合にあとでこの事態をどう評価するかという事後に働く規範であること、控訴理由書や上告理由書が、既に出された原判決が法律に照らしてどのように評価されるかを問うのがその典型。これに対し、判決が出る前に、見込みや予測なども折り込んで或る行為に法律を当てはめるのが事前の法規範であり、判決前の審理の段階で、主張や立証の要の段階(求釈明や証人申請など)で、それらの行為が法律に照らしどのように評価されるかを問うのがその典型。事後の法規範を評価規範と呼び、事前の法規範を行為規範と呼ぶことがある。


3、本件に「行為規範と評価規範」を応用

この「行為規範と評価規範」を本件に応用したのが、今週17日に最高裁に提出した補充書(2)だった。それは、この2ヶ月間、住まいの権利裁判で、打ち切りを決定した内掘県知事決定の適否を判断するためには内掘県知事決定における考慮事項とは何かについて吟味検討した上で、それらの考慮事項を内掘知事が十分に考慮したか否かについて事実認定した上で、内掘知事が決定に際して誤りをおかしたかどうかを判断する必要があるということを詳細に整理して主張した(上記の準備書面(23)~(26))、その再構成版だった。

なぜなら、上記の法律的主張は、現在、住まいの権利裁判で内掘県知事決定の適否を審理している場合の行為規範として意味を持つだけではなく、既に下級審の判決が下って現在最高裁に係属中の追出し裁判においても、内掘県知事決定を適法と判断した原判決が果して正しいのかどうかを判断する上での評価規範としても意味を持つ。すなわち、行為規範として内掘県知事決定の適否の判断基準として主張した住まいの権利裁判における法律上の主張が、今度は、評価規範として内掘県知事決定を適法と判断した下級審判決を裁く判断基準としても機能することに着目したものだった。
 その際、法律審とされる最高裁に注文をつけておきたいことがあった。それが次の「事実問題と法律問題の交錯(相互作用)」という問題だった。

4、最高裁は、現実に起きている生の事実に注視し、これを踏まえて初めて法律問題の正しい解決(法の適用)も可能となることに深く思いを致すべきである
 
最高裁は法律問題を審理するが事実問題は審理しないとされている。けれど、この命題は実は法律問題と事実問題を仕訳すればよいというほど単純な問題ではない。そもそも法律問題の正しい解決は事実問題の正しい解決を前提にしない限り、つまり事実の正しい認識を基礎におかない限りあり得ないからだ。その限りで、最高裁も法律問題を正しく解くために、否応なしに事実問題と関わらざるを得ない。
 この点が問われたのが本件の裁量権の逸脱濫用の有無だ。行政庁の裁量権の逸脱濫用の適否という法律問題を判断するためには、考慮事項について行政庁はどのような考慮をしたのかという事実問題についても検討せざるを得ないからだ。例えば、行政庁が考慮事項については正しく取り上げたとしても、次にそれらの考慮事項に対する考慮の点において、ろくな調査収集しかせずに、いい加減な調査結果の事実に基づいてお茶を濁すような考慮をした(つまり考慮した振りをしただけ)としたら、そのような考慮はいわゆる事実を法に適用する場面において誤りをおかしたものつまり法の適用の誤りと評価されざるを得ない。この法の適用の誤りがあったかどうかはれっきとした法律問題であり、この法律問題を吟味検討するためにはどうしても原審で認定した事実と法(ここでは考慮事項)とを突き合せなくてはならない。その限りで、最高裁も事実と向き合わざるを得ないのだ。
 従って、本件で、内掘県知事が打切りの決定を下すにあたって、原告が主張した(少なくとも)次の8個の考慮事項について、最高裁がもしこれらが本来考慮すべき考慮事項であると判断した場合には、考慮事項の考慮において誤りがあったかどうかを判定する(いわゆる法の適用の判断)ためには、これらの考慮事項を基礎づける事実に基づいて県知事がどのように考慮したのか、その考慮の過程についての事実について認定せざるを得ない。その事実認定を経て初めて、その事実と考慮事項とを突きあわせて、内掘県知事の決定の判断過程に誤りがなかったどうかを判断できるからだ。
ところが、追出し裁判の一審において、被告とされた我々は、2022年3月18日付準備書面(被告第9)(>全文PDF)において、打切りを決めた内掘知事決定がその判断過程において、かずかずの考慮事項の誤りをおかしていることを詳細に主張した。
 しかし、被告が、打切りの決定にあたって、県知事は「応急仮設住宅の供与の打切りという県知事決定が区域外避難者に及ぼす現実の影響」や「福島県と区域外避難者の間の現実の関係」という生きた現実に即して決定の内容を吟味検討すべきであるという観点から少なくとも次の8個の考慮事項の考慮が必要であると主張したのに対し、一審も二審も裁判所は、審理の中で、これらの考慮事項についても、さらにこれらの考慮事項を基礎づける事実についても一切取り上げず、それゆえ何も検討もしないまま、判決の中で内掘県知事の決定に違法となるような誤りがなかったと判示した。このような原判決が裁量権の逸脱濫用の有無を判断する判断枠組みについて、いかに考慮事項と考慮事項を基礎づける事実に関する法解釈と法の適用を誤まったものか、その結果、審理不尽のいかにいい加減な審理しかしなかったものか、その結果、判決理由としてもいかに不十分、不備なものとしてしか判示されなかったか、が歴然としている。

①.区域外避難者の避難先での生活再建の現状と今後の見通しについて、当事者の区域外避難者からヒアリングした情報            

②.もし仮設住宅の提供打切りを決定した場合、それが区域外避難者の生活再建にどのような悪影響を及ぼすのかについて、当事者の区域外避難者からヒアリングした情報

③.仮設住宅の提供打切りを決定する場合、代替住居の提供についてのどのような検討(当事者の区域外避難者からヒアリングも含めて)をおこなったのか

④.そもそも国家公務員宿舎から区域外避難者を退去させる必要があったのか

⑤.どのような目的のために区域外避難者の退去が必要とされたのか

⑥.退去の必要性が認められるとしても、その必要性と区域外避難者が国家公務員宿舎に居住し続ける必要性との比較衡量が不可欠であるので、この比較衡量のための調整手段・方法(例えば、県外に復興公営住宅を建設する)について、どのような調査・検討(当事者の区域外避難者からヒアリングも含めて)を行なったのか

⑦.被ばくによる健康影響について、例えばセシウム 含有不溶性放射性微粒子による健康被害のリスクについて、専門家集団に諮問しどのような調査・検討を行なったのか

⑧.「国内避難民の指導原則」などの国際人権法による避難者の人権保障のあり方について、専門家集団に諮問しどのような調査・検討を行なったのか


5、まとめ
(1)、裁量判断の適否を判断するための法律上の主張のうち、法の適用(ここでは考慮事項の適用)とは考慮事項の基礎となる事実と考慮事項(法規範)とが相まみえる「法律問題と事実問題が交差する交差点」である。そこで、この法の適用を正しく実行するためには、考慮事項の基礎となる事実の正しい認定を踏まえて、考慮事項に関する正しい評価をすることが不可欠となる。本件では、原審で認定した事実を踏まえて、原審裁判所がどのように法(考慮事項)を適用したのか、その適用において誤りをおかしていないかどうかを吟味すること、それが最高裁の本件の審理で最も重要な局面となる。

(2)、この局面の検討をするにあたっては、まだ一審の審理の最中である住まいの権利裁判で明らかになった法律上の主張を、既に原判決まで出揃った追出し裁判の最高裁の審理に応用することが可能である。それは、ひとつの法規範が2つの場面で作用することに着目することによって可能であり、この間の住まいの権利裁判で整理集大成した裁量判断の適否を判断するための法律上の主張を、最高裁に係属中の追出し裁判の原判決を破棄する理由として追加補充する主張として活用した。全文のPDF


2025年11月18日火曜日

【つぶやき8】11.12住まいの権利裁判第16回弁論期日(続き):問題を正しく提出することが問題を正しく解くより困難かつ重要なときがある。それがこの日の裁判(25.11.19)

以下は、昨日書いた【つぶやき7】11.12住まいの権利裁判第16回弁論期日、その続き。

この日、裁判所は、
1、我々が強く求めてきた内掘知事の証人申請を不採用、却下した。敗北への後退。
2、と同時に、行政庁の裁量判断の適否について、「判断の枠組み」次第で決着を付くことを示した。勝利への前進。

その答えが意味することは「一歩後退、二歩前進」。
その心は「 問題を正しく提出すること自体が問題を正しく解くに殆どひとしいときがある。それがこの日の裁判だった」。

以下、この日の迷路・迷宮の裁判について、昨日の報告に続いて、もう一度、パズル解きの報告に挑戦。

1、民事裁判の基本原則は自己決定(弁論主義) 
民事裁判は、近代社会の基本原則「私的自治の原則」を反映して、誰がいかなる紛争をいかなるやり方で解決するかを当事者の意思(自己決定)に委ねる原則に取っている。その意味で、民事裁判の基本は、イエスの次の言葉と同じ。
求めよ、さらば与えられん

つまり、紛争を解決したかったら、解決したいと思った者が裁判の場で自ら進んで解決のビジョンを示して主張・立証を尽せ。そしたら、両当事者がそれを尽したあとに、第三者の裁判所がそれに対し判断を下して、求めたものに対して答えが与えられる。

2、本件の「求めよ、さらば与えられん
(1)、では、本件で当事者(原告)は何を求めるのか。それは、
第1に主張のレベルで、
内掘県知事が打切りの決定を下すにあたって考慮すべき考慮事項が何であるかを明らかにし、それらの考慮事項について知事は必要十分な考慮を払わなかった。つまり、知事は打切り決定の判断の過程において、考慮すべき考慮事項について4つの誤り()をおかした。よって、打ち切り決定は違法を免れない。

()それは次の4つの誤りのこと。
①.本来考慮に容れるべき要考慮事項を考慮したか。
②.本来考慮に容れるべきでない考慮禁止事項を考慮に容れなかったか(他事考慮)。
③.要考慮事項について当然尽すべき考慮を尽したか(過小評価)を
④.本来過大に評価すべきでない事項を過重に評価しなかったか(過大評価)

第2に立証レベルで、
(1)、立証すべき命題(対象)
上記の通り、主張のレベルで明らかにした考慮事項に関する具体的な事実(原告がこの間主張した10個の具体的な事実)を証明して、これらの考慮事項について知事は必要十分な考慮を払わなかったことを証明すること。
これが原告が立証すべき命題。
(2)、立証命題の立証の方法
他方で、被告福島県と内掘知事が立証命題である前記の具体的な事実を独占し本裁判に開示しない以上、原告がこの立証命題を証明するためには、もはや決定を下した本人である内掘知事自身に直接問いただして証言を得るしか他に方法がない。

以上が原告が求めたこと。

(2)、これに対し、12日の裁判で裁判所は何を与えたか。
裁判所は、内掘知事の証人申請は不採用という応答を与えた。

(3)、迷路・迷宮の謎解きのスタート
ここから迷路・迷宮の謎解きが始まった。それが「内掘知事の証人申請はなぜ不採用となったのか」という原告からの問いかけだった。

なぜなら、本裁判で、県知事の打ち切り決定が違法か否かを判断するためには、
県知事が打ち切り決定を下すにあたって考慮すべき考慮事項に必要十分な考慮を払わなかったかどうか、で決まる。
そのためには、県知事がこれらの考慮事項に必要十分な考慮を払ったかどうかという真相を解明する必要があり、その真相解明のためには県知事の証人尋問は不可欠であったはず。のみならず、立証責任の点からいっても、この真相解明について立証責任を負う原告にとって、県知事の証人尋問は原告の立証を尽すためになくてはならない立証活動である。

そうだとすると、内掘知事の証人申請を不採用とした裁判所は、原告がこのように立証活動を尽そうとするのをなにゆえに妨げるようとするのか。それとも、裁判所は、この真相解明について立証責任を負うのは被告であって、原告は負わないから、その意味で、原告から県知事の証人尋問を申請する必要もないとでも考えているのか。
どうなんだ?と。

(4)、謎のリアクション
その問いに対し、裁判所は、こちらが想定していなかった次の回答を告げた。

①.仮設住宅提供を打切った県知事決定が違法かどうかは、何が考慮事項であるかについて明らかにし、それらについて必要な考慮がされたかどうかを検討して判断することになる(←ここは原告の主張の通り
②.ところで、本件における「考慮事項」は何かについては、原告被告間で真っ向から主張が対立する。原告の主張する10個の考慮事項と被告の主張する3個の考慮事項は全く噛み合わない(←ここも原告も認識していた通り)。
③.しかし、原告の主張する10個の考慮事項について、「知事は決定の判断過程においてこれらの10個の考慮事項を考慮していなかった」という事実の点に関しては被告も争いがない(←言われてみれば、確かにその通り)。
④.つまり、原告が知事の証人尋問により証明しようと考える「知事は決定の判断過程においてこれらの10個の考慮事項を考慮していなかった」という事実は当事者間で争いのない事実であるから証拠調べは必要ない(←よもやそこまで気がつかなかった‥‥)。
⑤.従って、知事の証人尋問は採用しない(採用する必要がない)(←④からは論理必然的な帰結だ)。

(5)、裁判の決着の付け方
つまり、「考慮事項」論のうちの事実問題(原告が主張する10個の考慮事実に関する内掘知事の対応)については被告も争わないことを表明した結果、残された問題は「考慮事項」とは何か、という判断枠組みの法律問題(要件事実の確定)に絞られた。
         ↑
このような応答・展開は全く想定外だった。
裁判所の態度はてっきり、内掘知事を採用しないのは「知事、多忙につき」を理由にする「裁量判断の逸脱濫用への消極的姿勢」に由来するものだとばかり思っていた。先行する追い出し裁判でも露骨にそうだったから。しかし、この日の裁判所はこれとは全くちがった。内掘知事を採用しないのは「原告が立証しようとする考慮事項に関する事実(10個の考量事項を知事は適切に考慮していなかった)に原被告間に争いがなく証拠調べは不要だから」つまり「知事、不要につき」を理由とするものだった。

してみると、本裁判で残された問題つまり「真の争点」とは「何が考慮事項か」という、裁量判断の適否を決める「判断枠組み」とは何かだった。
これまで、福島関連訴訟で、審理の中で裁判の「真の争点」が明らかにされ、この「真の争点」に沿って主張・立証を尽したことは一度もなかった。「真の争点」を明らかにして勝負に出れるのはこれが初めてだった。しかも、その勝負が考慮事項という「判断枠組み」であることも初めてだった。
2014年の提訴から7年後に判決が言い渡された子ども脱被ばく裁判でも、判決を書いた福島地裁の裁判官は、判決まで、行政裁量判断の逸脱濫用の適否が争点であることを審理の中で一度も明らかにせず、ましてやこの住まいの権利裁判のように、行政裁量論の中で、真の争点が「考慮事項とは何か」であることなぞ審理の中で全く、一言も触れられず、判決の中で行政裁量論が突如、登場したのである。
これまでの不意打ち裁判、闇討ち判決に比べれば、住まいの権利裁判は真の争点のあぶり出しをやったという意味で、格段にまともな裁判である。

(6)、終わりに
本裁判の決着が何より決まるのか、という「真の争点」が明らかにされた先週12日の裁判はこれまでに経験したことのない裁判だった。「真の争点」を明らかにして、これに沿って「適正・迅速な裁判」を実現するというのはこれまでもさんざん要件事実を強調してきた司法研修所のお題目だったが、先週12日の裁判はそれを実地で見せた、お手本になるような濃密で凝縮した裁判だったのではないかと思う。
それは次の訓えを授けてくれたーー問題を正しく提出することが、問題を正しく解く以上に重要で決定的な場合がある。そのような場合、問題を正しく提出すること(すなわち「真の争点」を提示すること)で往々にして殆ど勝負がつく。
我々はついつい、自分の求める結論の正しさばかりに目を奪われて、その正しさの論証・証明に無我夢中になりがちだが、その論法は必ずしも人々の心に届かない。問題を解く前に、問題を正しく提出することに心を砕け。それがソクラテスがやった問答の全て。ゆめゆめ、問題を正しく提出することを怠ることなかれ。

この日経験し、掴んだ《「真の争点(真の判断枠組み)」に沿った裁判を徹底する、その決定的な重要性》、これを生涯の宝物として、これから取り組む全ての裁判の羅針盤として活かしていきたい。

【つぶやき7】11.12住まいの権利裁判第16回弁論期日:「一寸先は闇」と「一歩後退、二歩前進」の中で見えてきた勝利の方程式(25.11.18)

これは今まで経験したことのないような、少々長い、パズル解きのような裁判報告。

裁判報告の3つの動画>末尾へ

1、住まいの権利裁判第16回弁論期日までの経過
先週11月12日の住まいの権利裁判。この日、内掘福島県知事の証人申請の採否が明らかにされる。つまり、この日でこの裁判の行方がほぼ決まる(なぜなら、内掘知事が採用されたからといって勝訴が保障されるわけではないが、不採用となれば、過去の追出し裁判の経験からも敗訴はほぼ確実となる)。

そのため、内掘証人尋問の必要性・必然性を実証的、論理的に明らかにするための書面をこの間、以下の通り準備、提出した。

原告準備書面(23) なぜ内掘知事の証人尋問が必要なのか(25.10.15)(

上申書  10月20日の進行協議で発言の補足(25.10.22)

原告準備書面(24)本文+別表1+別表2 準備書面(23)の続き(25.10.27)

原告準備書面(25) 立証責任の分配が立証活動に与える影響について(25.11.3)

原告準備書面(26) 被告第13準備書面について(25.11.10)

上申書 争点整理案の追記(25.11.10) 


)準備書面(23)の概要は以下。
1、前提問題
(1)、略
(2)、いかなる場合に行政庁の裁量判断は違法とされるか。
 都知事が行った都市計画の変更決定に対し、最高裁は次の通り判示した。
その基礎とされた重要な事実に誤認があること等により重要な事実の基礎を欠くこととなる場合,又は,事実に対する評価が明らかに合理性を欠くこと,判断の過程において考慮すべき事情を考慮しないこと等によりその内容が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くものと認められる場合に限り,裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとして違法となるとすべきものと解するのが相当である。》(最判平成18年11月2日小田急線高架化事業認可取消訴訟。下線は原告代理人)。
 その結果、行政庁は重要な事実の基礎を欠くことのないように、なおかつ当該事実に対する評価が明らかに合理性を欠くことのないように、案件の裁量判断にあたっては、いかに判断すべきかを検討するために必要となる当該案件の構成要素たるあれこれの事実を十分に調査・収集しておくことが判断の大前提となる。
 そこで、裁判所が行政庁の裁量判断を審査するにあたっても、行政庁が調査・収集すべき上記事実を適切に把握しておくことが不可欠となる。

(3)、行政庁の裁量判断についてどのような司法審査が行なわれるべきか。
 行政庁の判断過程において、重視すべきでない考慮要素を重視し(過大評価)、当然考慮すべき事項を十分考慮しない(過小評価)などの合理性を欠くことを問題にして司法審査した最高裁平成18年2月7日学校施設使用許可国賠事件判決以降、「判断過程審査」方式が積み重ねられ 、近時はこの「判断過程審査」方式が通例となり、定着している(原告準備書面(19)16~17頁。藤田宙靖元最高裁裁判官「自由裁量論の諸相―裁量処分の司法審査をめぐって―」73~74頁〔甲B37号証〕)。

(4)、「判断過程審査」方式においてはどのように審査が行なわれるのか。
裁量判断の方法ないしその過程に誤りがあるかどうかを審査する。具体的には以下の諸点について吟味検討を行なう。
①.本来考慮に容れるべき要考慮事項を考慮したか。
②.本来考慮に容れるべきでない考慮禁止事項を考慮に容れなかったか(他事考慮)。
③.要考慮事項について当然尽すべき考慮を尽したか(過小評価)を
④.本来過大に評価すべきでない事項を過重に評価しなかったか(過大評価)
 以上を前提にして、以下の問題について検討する。

2、問題の所在
本裁判において、内掘知事の証人喚問がなぜ必要か。

3、結論
そもそも行政庁の裁量判断の違法性の有無を司法審査する上で、要考慮事項・考慮禁止事項の内容及びその重み付けを検討・判断するためには、行政庁が裁量判断にあたって、事前に十分に調査・収集しておくべき、判断の基礎となる事実・情報(以下、当該情報という)を把握することが不可欠である。本件においても、県知事決定の基礎となるべき当該情報を収集することが不可欠である。そこで、この情報収集のためには、県知事決定を下した本人から直接及び反対尋問にさらされる証人手続の中で入手するのがベストである。

4、理由

そもそも福島原発事故クラスの原発事故(放射能災害)は災害救助法で予定しているような従来型の災害・事故の枠組みに収まらない、想定外の大災害(カタストロフィー)であり、こうした大災害(カタストロフィー)に見舞われた被災者(そこには当然、区域外避難者も含まれる)に対して、国・自治体には、被災者が原発事故から回復(命、健康の回復、生活再建)することに対する「十分な配慮」 が求められることは言うまでもない。
従って、県知事による区域外避難者への住宅の無償提供の打切りの決定にあたっても、その決定の判断過程において、要考慮事項の1つとして上記の「十分な配慮」をする必要がある。そこで、この「十分な配慮」を適切に実行するためには、無償提供の打切りの決定当時の区域外避難者の置かれた現況などについての必要十分な事実・情報に基づく必要がある。
そこで、問題はその際に、どのような事実・情報を収集することが求められるかである。そのためには、いま一度、行政法を論理的な概念法学(=死んだ行政法)ではなく、「生きた行政法」の中で再構成するという以下の基本的な観点に立ちかえる必要がある。
「これまで、行政法学者たちは、一定の行政行為を概念を用いて分類して、法規裁量に該当するか、自由裁量に該当するかを導き、それによって、当該行政行為に対する司法審査の可否(違法の判断の可否)を判断してきた。」
「しかし、そこには当該行政行為をめぐって国民に及ぼす影響、或いは行政庁と国民の間の現実の関係というものが完全に欠落している」
「しかし、たとえ概念的には同一の行政行為に属するものであっても、上記の「国民に及ぼす影響」や「行政庁と国民の間の現実の関係」という当該行政行為が果たす機能が違えば、結局、その法的判断も異なりうるのである。」
「従って、重要なことは、機能的に捉えられた行政行為について、その機能作用に着目する中で、当該行政行為に対する司法審査の可否を判断すべきであって、概念的な操作でもって判断するのはおかしい」(以上、渡辺洋三「法治主義と行政権」〔1959年〕)
そこで、いやしくも区域外避難者の原発事故からの回復(命、健康の回復、生活再建)に対する「十分な配慮」を具体化しようとするならば、「仮設住宅の提供打切りの県知事決定が区域外避難者に及ぼす影響」や「福島県と区域外避難者の間の現実の関係」という生きた現実に即してこれを行なうほかなく、もし、このような「生きた現実」に即した検討をしない限り、行政行為である県知事決定は法律的に「空虚」なものにならざるを得ず 、そこで、県知事は具体的に以下の8個(その後2個追加で計10個)の情報を収集することが不可欠であった(以下、本件当該情報という)。
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2、住まいの権利裁判
16回弁論期日までの準備の中で導かれたこと
 その結果、実証的、論理的に「原告が考える考慮事項について、《知事が考慮を尽していない》ことの立証責任を負う原告がその立証責任を果たすためには、仮設住宅提供を打切った県知事決定を下した内掘知事本人から証言を引き出す以外に立証方法がないこと(なぜなら、被告福島県は原告が考える考慮事項について一切情報を提供しないから)」が示されたのであれば、もし裁判所が内掘知事の証人申請を不採用とするのは「考慮事項について立証責任を負う原告の立証活動を尽させるという裁判所の訴訟指揮に自ら反することになる」。裁判所に、そのような原告の立証活動の妨害をおこなう理由は何なのか?ーーこういう問いを投げる積りで準備した。

3、住まいの権利裁判16回弁論期日の当日
果して、裁判所は、内掘知事の証人申請を不採用とした。 そこで、上記の問いを投げた。
それは、先行する福島地裁に提訴された追出し裁判でも、3年前、福島地裁の裁判官も同様に、内掘知事の証人申請を不採用としたが、その真意は「もともと仮設住宅提供を打切った県知事決定が違法だいう避難者たちの主張は取るに足りない無理な主張。だから、そんな無理な主張の立証のために多忙な県知事をわざわざ尋問するまでもない」にあったが、今回の東京地裁の不採用の真意もそこにあるのかどうか、それを確認することがこの問いの目的だった。

もし、東京地裁の裁判官が「県知事は公務で多忙だから」といった趣旨の応答したときには、その応答振りから、その真意は3年前の福島地裁の裁判官と同様であることが透けて見えて、判決の見通しも敗訴が判明した。

ところが、東京地裁の裁判官は我々が予想もしていなかった奇妙な応答をするに至った。それは次のような内容だった。
①.仮設住宅提供を打切った県知事決定が違法かどうかは、何が考慮事項であるかについて明らかにし、それらについて考慮がされたかどうかを検討して判断することになるところ、
②.原告が主張する10個の「考慮事項」と被告が主張する3個の「考慮事項」はその内容が真っ向から対立して、噛み合わない。
③.ところで、原告は、原告の主張する10個の考慮事項について、県知事は考慮をしていないということを主張する積りである。
④.これに対し、被告も、原告が主張する10個の考慮事項について、本法廷でも確認した通り、これらについて県知事は県知事決定の判断過程において考慮していないことを認めている。
⑤.すなわち、原告の主張する「10個の考慮事項について、県知事は県知事決定の判断過程において考慮していない」事実は被告においても争いがない。
⑥.従って、上記⑤の事実に双方で争いがない以上、これについては証拠調べする必要がない。
⑦.従って、上記⑤の事実の存否について内掘知事を証人として証拠調べする必要もない。
⑧.これが、内掘知事の証人申請の不採用の理由である。

4、住まいの権利裁判16回弁論期日の意味すること
この裁判所の言い分は論理的には正しい。
すると、仮設住宅提供を打切った県知事決定が違法かどうかの勝負は、何が考慮事項であるか、具体的には原告の主張する10個の考慮事項か、それとも被告の主張する3個の考慮事項か、という考慮事項の範囲をめぐる法律判断(法解釈)で決まることとなった。
これは、3年前、内掘知事の証人申請を却下し、そのあと、何の理由も示さず、県知事決定に裁量権の逸脱濫用はないと三行半の判決を下した追出し裁判の福島地裁一審判決とは全くちがう展開となった。

この想定外の展開に、もし内掘知事の証人申請の不採用ならば、3年前の追出し裁判の暗黒判決の再来を覚悟するほかなかったのに、裁判所との対話を通じて、そこから、予想もしていなかった新たな形で勝訴の可能性があることが見えてきて、そのために勝利の方程式の準備に励む余地を与えてくれた。
この意味で、この日の裁判は「一寸先は闇(そして光)」であり、「一歩後退、二歩前進」の瞬間だった。 

以下の動画(UPLANさん提供)は、裁判後の報告集会で、この日の裁判所との対話のやりとりの意味について解説した
弁護団の井戸さんの解説


同じく柳原の解説

裁判前の支援者集会で、柳原の今日の裁判の見通しの話


2025年11月3日月曜日

【つぶやき6】真か偽の判断は事実認識の次元だけではない、もう1つ、論理の世界でも登場する(25.11.3)

 これまで、世界や物事を判断するとき、①真(認識的)、②善(道徳的)、③美(美的、快か不快か)という異なる独自の3つの次元の判断を持つと、そう考えてきた(>リスク評価論)。そしてここで、①真(認識的)とは事実認識のことを意味していた。

しかし、最近ようやく、①の真に関しては、これは不正確ではないかと気づくようになった。 なぜなら、論理の世界でも真か偽かが問われることがあるが、論理の世界は上記の①事実認識の世界とは異なる、別個の世界の話だから。

つまり、真理か否かは事実の世界と論理の世界で問題となる。真理か否かについて、前者は科学による検証を経るが、後者は分析を通じて基本の規則に分解することによって明らかになる。以上のことはライプニッツが「モナドロジー」§23で明言している通りである。

 

 

2025年11月1日土曜日

【つぶやき5】トマス・アクィナスの謎:なぜキリスト教はのちにギリシャ哲学と結婚(融合)できたのか(25.11.2)

1、はじめにーーずっと分からなかった謎ーー
キリスト教が中世に至って、とくに13世紀にトマス・アクィナスによって、ギリシャ哲学とくにアリストテレスの哲学と融合したと言われる。むろんトマス・アクィナス個人ははなからアリストテレスの哲学に夢中だったから、これをキリスト教と合体させようとしたのは自然だとしても、問題はなぜ彼のそのような行為が異端視されず(実際はされそうになった)、むしろキリスト教の正統とみなされるに至ったのか。これはトマス・アクィナス自身にとっても、大きな謎だったはずだーー自分がやった「宗教と哲学の結婚の試み」が異端とされず、火あぶりにも処せられなかったのはなぜか?

客観的にみたら、宗教が哲学と結婚するとき、当時の哲学は自然哲学・論理学だから、それは規範(善悪)と存在(真偽)の結婚だ。前者は価値判断に基づくもの、後者は価値判断を排した客観的な存在の問題。もともと次元のちがうもの同士が合体するというのは一体どういうことなのか。

なぜなら、どんなに事実(存在)を積み重ねたとしても、そこから論理必然的には規範(善悪)を導き出すことはできない。両者の間は論理的に分断されているから。

にもかかわらず、両者の間を論理的につなごうとしたトマス・アクィナスは一体どうやって、この無謀な試みに挑戦したのだろうか? 

これについて思ってきたことは、 規範(善悪)と存在(真偽)の分断は、暗闇の中の跳躍という無根拠の、半ばヤケクソの「実践」だったら可能、というよりそれしか可能性はないと考えてきた。

2、ひとつの手掛かり
しかし、今、それ以外にも、この分断に橋を掛けることは可能ではないかと気がついた。

それが上記の「 どんなに事実(存在)を積み重ねたとしても、そこから論理必然的には規範(善悪)を導き出すことはできない。両者の間は論理的に分断されている」。しかし、たとえそうだとしても、事実の積み重ねによって規範(善悪)に限りなく近づくことはなお可能なのだ。つまり、事実の積み重ねの極限形態、それが規範(善悪)だと(※1)。
だとすれば、我々は、規範からみて最も至当に思われる「事実」を丹念に積み重ねていくことしかできないのではないか、それがここで言う「実践」という意味だ
※2※3。 

※1)極限の登場
数学の解析の世界では、物事を「極限」として捉える。速度を捉えるのに、一定時間で進んだ一定距離について、「一定距離÷一定時間」の式で
一定速度が導かれるこの式に、一定時間をどんどんゼロに限りなく近づけていったその極限の末に、「無限小の距離÷無限小の時間=瞬間速度」を導くことがやられている。ここでは、単純な「事実」の中だけで計算が行われているのではなく、 むしろ、「事実」の無限の積み重ねの中で、その極限の果てに「無限小」なるものを想定(仮想)して、そこから法則(ここでは瞬間速度)に辿り着くことが実現している。これは、それまでの単純な「事実」の中だけで計算してきた者にとって驚異的なアイデアである。17世紀に発見された、この発想の転換を、今ここで、事実と規範の分断を克復するアイデアを想起することは十分意味がある。 

※2孟子の「惻隠の情」
これに似たことを言った人がいる。孟子。彼は「惻隠の情」というものが人には誰にも備わっているという。これは事実(存在)のことだ。この「惻隠の情」は仁(規範)そのものではないが、仁の「端(はじめ)=端緒」だという。そして、この端緒を拡充する努力を積み重ねていく中で、ついに仁に至ることが可能になるという。
これは惻隠の情と仁とは別ものだが、しかし、惻隠の情から出発してその積み重ねの努力の中から、いつか仁に至るという事実の規範(仁)と事実(惻隠の情)の関係について、こんな大昔に、このような繊細な考察をしていたことに、正直、ただ驚嘆するのみ。

※3)関係性についての考察
これは或る2つの
出来事を同一のものかそれとも別のものかと問うことと、もしその答えが「別のもの」だとしても、なお、2つの出来事の関係は全くの無関係かそれとも、特定の関係が認められるかという問いが残されており、もしその答えが「特定の関係が認められる」だとしたら、次にそれはどんな関係かを問うことが必要になる、この考察の重要性を実際に示してみせたものだ。

3、もうひとつの気づき
宗教と哲学の結婚は、少なくともトマス・アクィナスの場合、その宗教が普遍宗教の性格を帯びていたからだ。彼にとって、普遍性の追求とキリスト教への信仰は不可分一体になっていて、その結果、彼の中では普遍性の追求が存在(真偽)の分野にも振り向けられたのはごく自然のことだった。そして、そこでアリストテレスの哲学と出会った。
アクィナスの中では、普遍性がキリスト教と哲学を合体させる最大の動機付け(モチーフ)になっていた。その結果、キリスト教のとくにその基礎(インフラ)となる分野を哲学でもって普遍化するのは彼にとって極めて自然なことであった。

【つぶやき9】追出し裁判、最高裁に上告受理申立ての3通目の補充書を提出:規範が事前の規範と事後の規範の2方面に作用するのに着目し、住まいの権利裁判の先日の成果を追出し裁判に活用(25.11.19)

                               追出し裁判、最高裁に 補充書(2) を提出(11月17日) 1、概要  住まいの権利裁判の前々回の9月1日から前回の11月12日までの2ヶ月余りの間、仮設住宅提供の打ち切りを決めた内掘県知事決定の裁量権の逸脱濫用の適否...