2025年2月15日土曜日

【つぶやき3】「ずっと偏愛してきた数学が脳化社会の最大の推進者だった」 (24.10.16)

 この夏、自分自身の中で最もショックだったことは、
数学こそ脳化社会を推進した最大のツールだった
ことを知ったことです。それも養老孟司の指摘でした(しかも2003年の「バカの壁」に書いてあったのに、私の「バカの壁」のせいで理解できなかった)。

私の数学に対する偏愛は、ブルーカラーという自分自身の出自に由来します。貧困からの脱出は学力しかなく、その学力のうち最も確実なのは、証明さえできればどんな考えの人からも受け入れられる数学だと直感したからです。

しかし、その数学の確実性こそが脳化社会を推進する最大の武器になったのだと、養老孟司は言います(以下)。

脳化社会は人々にものごとを了解させようと了解事項を拡大させてきたが、その了解には共通了解と強制了解の2つがある。強制了解は有無を言わせず了解させること。数学は、証明によって強制的に「これが正しい」と認めさせられる論理であり、「強制了解」の典型である。その行き着く先がAI。

AIが世界を覆いつくすということは、意識(論理)の世界が自然の世界と置き換わるということ。その結果、自然(身体)としてのヒトの調子が狂ってくる。ジレンマを抱えたヒトは、最悪の場合、AI(論理)の命ずるままに受け入れるだけで、自らモノを考え、動くことを放棄し、死んだも同然の状態に陥る(養老孟司「AI支配でヒトは死ぬ」)。

この裁判も上に述べた危惧を一層感じるようになりました。東電の100mSv論がその典型ですが、データと統計だけで被ばくと甲状腺がんの因果関係を判断していいんだという発想そのものが、AI(論理)の命ずるままに受け入れるだけで、自然(身体)と向き合い、自らモノを考えることを放棄し、死んだも同然(思考停止)の状態に陥っているからです。

子ども脱被ばく裁判の中で、LNTモデル仮説論争に関する書面を書いたとき、ポパーの「反証可能性」論で反論したのですが、この準備の中で、物理、化学などではこの「反証可能」論が妥当するけれど、ひとり数学だけはこれが通用しないんじゃないかと気がついて、ちょっと焦りました。その時には、数学は論証科学だとすれば、物理などは実験科学であって、両者は別の種類の科学なんだと考えて、「反証可能」論は実験科学のみに妥当すると考えるしかないことに思い当たりました。
つまり、数学は自然世界に関する科学ではなく、論理の世界の科学だということです。この数学の特殊な位置に気がついたとき、もし養老孟司の「脳化社会」論を知っていたら、数学こそ脳化社会の推進者だったことにも気づいたはずでした(当時作成した「科学的な証明」をめぐる整理の表を添付します)。

その自然世界と切り離された論理の世界の数学が侵入して作られたのが現代統計学です。そこでは、数学の確率論が大幅に導入され、古典統計学が一新されたからです。その結果、自然世界と強い対応関係を保っていた古典統計学ではなく、自然世界との対応関係が危うい確率論をベースにした現代統計学が今日のデータ処理の基本になったのです。

なぜ現代統計学が威力を発揮したか。それは論理という手段をフルに活用して結論を引き出せたからで、言い換えれば、自然世界との対応関係が危うい確率論をベースにしたからで、それは反面、現実の自然世界とどれくらい正確に対応しているのか、そこがどんどん危うくなっていく。それを承知で、検討委員会などは自分の都合のいい結論を現代統計学を大義名分にして引き出しています。
我々はそれに対し、単に「それは現代統計学の使い方を間違えている」とだけで反論しては足りないんじゃないか。それが今の問題意識です。

話があちこち飛びましたが、数学に対する見方がコペルニクス的転回を遂げざるを得なかった自分の体験を語りました。

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